古くから日本の怪談話の代表格ともいえる「四谷怪談」
過去には歌舞伎や映画にもなり、子供の頃、あまりの恐ろしさに震え上がった人も多いのではないでしょうか?
その主人公、お岩さんが祀られている神社が東京・四谷にある「於岩稲荷田宮神社(おいわいなりたみやじんじゃ)」です。
今回は於岩稲荷田宮神社を訪れ、お岩さんの人物像にふれてきました。
於岩稲荷田宮神社とは?
東京都新宿区にある於岩稲荷田宮神社は、旧田宮家屋敷の跡地に所在するといわれており、田宮家にあった屋敷社からできた神社ですが、ここが怪談話「東海道四谷怪談」の舞台でもあります。
現在、この於岩稲荷田宮神社は田宮家の子孫の方が宮司を務められており、当時、お岩が信仰していたように今も家内安全、商売繁盛などの御利益があるとして多くの人が訪れます。
そして、芸能界でも一目置かれる存在で歌舞伎や映画などで「四谷怪談」を演じる前に、ここへ参拝しないと事故が起きるという噂があり、事前に役者や劇場関係者が参拝に訪れています。
お岩さんとは?
お岩は江戸時代の初期、江戸の四谷左門町で健気な一生を送った実在した女性です。
徳川将軍家の御家人の田宮又左衛門の娘で、婿の田宮伊右衛門とは周囲も羨む仲睦まじい夫婦でしたが、年の俸給は僅かでいつも家計は火の車でした。そこでお岩は家計を支えるために奉公へ出ます。
それに加えて、お岩は信仰心が厚く、日頃から田宮家の庭にある屋敷社を信仰していたおかげで夫婦の蓄えも増え、田宮家は家計を立て直します。
お岩の信仰心のおかげで田宮家が復活したという話は、たちまち評判になり、近隣の人々は、お岩の幸運にあやかろうと屋敷社を「お岩稲荷」と呼んで信仰するようになりました。
毎日のように参拝に訪れる人々の要望に断り切れず、ついに田宮家は屋敷社の参拝を許可することになります。
以来、「於岩稲荷」「大厳稲荷」「四谷稲荷」「左門町稲荷」など、さまざまな呼び方をされた屋敷社。
家内安全、無病息災、商売繁盛、開運、災難除けの神として、ますます江戸中の人気を集めるようになりました。
まさに、お岩という女性には怨霊のかけらもありません。
なぜ四谷怪談に?
そんなお岩が、なぜ恐ろしい怪談話の主人公になってしまったのでしょう?
江戸時代後期。歌舞伎作者の鶴屋南北(つるやなんぼく)は、かねてから「於岩稲荷」のことが気になっていました。
お岩が亡くなってから200年近く経っているにも関わらず、一向に冷めないお岩の人気。
その、お岩の名を使って歌舞伎にすれば大当たりするに違いないと考えた南北は早速、台本作りに入ります。
ただ、お岩があんな善人ではおもしろくない。刺激の強い江戸の人々には、どぎついまでの脚色が必要と読んだ南北。
とてつもない空想力でお岩を本人とは到底、かけ離れた恐ろしいキャラクターに仕立て上げます。
そして、できあがったのが、皆さん、ご存じの「東海道四谷怪談」です。
(参考資料:於岩稲荷田宮神社の配布資料)
今も多くの人に信仰され続ける、お岩さん
「四谷怪談」は完全なフィクションであり、実在したお岩は、とても健気な女性でした。
私が訪れた日も女性を中心に参拝に訪れており、境内にある資料を熱心に眺めていたり、今もお岩は多くの人からの関心を集めていることを実感しました。
もうひとつの於岩稲荷
於岩稲荷田宮神社の向かい側に、もうひとつの於岩稲荷があります。
日蓮宗のお寺で長照山・陽雲寺というお寺です。こちらも同じく於岩稲荷としての顔を持ち、多くの参拝者が訪れていますが、先ほど紹介した於岩稲荷田宮神社とは対照的に、とても明るい雰囲気で境内には何とカフェまであります!
それもそのはず、こちらは当時、江戸中の人気を集めた於岩稲荷田宮神社に、あやかって建てられたエンターテインメント性の高いお寺なのです。
さいごに
あたたかい雰囲気の中、2つの於岩稲荷を巡ってきました。
感じたのは、あの恐ろしい四谷怪談のお岩さんとは似ても似つかぬ健気で夫想いの、とても素敵な女性だったこと。
亡くなって200年近くも経とうとする頃に突如、恐ろしい怪談話の主人公にされてしまったお岩さん。
草場の陰で悲しんでいるように思えてなりません。
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