江戸時代、江戸・日本橋から京都・三条大橋までを結ぶ東海道には53カ所の宿場町があり、東海道五十三次と呼ばれて多くの旅人が行き来しました。
日本橋を出発して最初の宿場町が品川宿。現在も東京都品川区の北品川から新馬場(しんばんば)周辺には、当時の面影が色濃く残っています。
今回は北品川から鈴ヶ森刑場跡までを歩き、その歴史にふれてきました。
東海道最初の宿場町
日本橋を出発して最初の宿場町が品川。現在の北品川にある聖蹟公園(せいせきこうえん)が品川宿本陣のあった場所で公園内には石碑や案内板が設置されています。
品川宿本陣は、江戸時代初期から中期にかけて、東海道を往来する大名や旅人を宿泊・休憩させた施設です。1771年に現在地に移転し、明治初期まで利用されましたが、明治天皇も京都からの帰りに品川宿で休憩した記録が残っています。
現在は聖蹟公園として整備され、子供たちの憩いの場となっていますが、この「聖蹟」とは天皇が行幸の途中に休憩や宿泊した場所を後に指すようになったものです。
品川神社
次に訪れたのが品川神社。第一京浜(国道15号線)沿いにあり、京急新馬場駅からも歩いて3分ほどの場所です。
平安時代末期に源頼朝が創建した品川神社。慶長6年(1601年)に徳川家康が東海道五十三次を定め、品川は東海道最初の宿場町となりました。以来、品川宿の鎮守として東海道を旅する人々は、品川神社で道中の安全祈願を行ってから旅に出たと伝えられています。
写真は立会川にかかる浜川橋ですが、泪橋(なみだばし)とも呼ばれます。この先にある鈴ヶ森刑場で処刑されるため、送られる罪人を家族が涙ながらに陰から別れを惜しんだ場所であることから泪橋と呼ばれるようになりました。
鈴ヶ森刑場跡
江戸時代、罪人を処刑する場だった鈴ヶ森刑場ですが、明治6年まで使用され、罪人だけでなく政治犯やキリシタンも処刑されました。現在は東京都史跡として当時の様子を今に伝える貴重な場となっています。
刑場も東海道沿いにあったため、当然ながら旅人の目にもふれた筈です。
同じことを言えるのが東海道西の終点、京都・三条大橋。
三条河原も豊臣秀吉の時代に処刑場として歴史上の人物が処刑もしくは、さらし首にされています。
当時の旅人は何を思いながら東海道を行き来したのでしょうか。
品川から少し歩いただけでも、これだけの歴史にふれることができる東海道。
この先、大森~蒲田を経て多摩川にかかる六郷橋を渡れば東海道2番目の宿場町、川崎。
次回は川崎まで歩きながら当時の様子にふれてみようと思います。
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